みなさんは『そーや』の愛称で親しまれている藤原奏哉選手を知っていますか?
2022年シーズンから徐々に頭角を現し、今やアルビレックス新潟に欠かせない選手の一人です。
藤原奏哉選手の特徴でもある緻密な分析に基づいたプレースタイルから【神出鬼没なプレースタイル】や【現代型サイドバック】などと言われています。
ダイナミックな攻守で活躍している藤原奏哉選手の魅力を余すことなく紹介していきたいと思います。
では、今回の内容は
- 藤原奏哉選手の出身校
- 藤原奏哉選手の経歴・プレーの特徴
- 藤原奏哉選手のプロフィール
について、わかりやすく紹介していきます。
藤原奏哉の出身校
藤原奏哉選手は山口県の出身です。
この1文で「あっ!?」と気づかれた方はアルビ愛に溢れた人ですね(笑)
そうです、以前アルビレックス新潟に在籍していた三戸舜介選手と同郷なんです!!
厳密に言えば出身の市は異なるんですけどね。
藤原奏哉選手の出身地であります山口市は山口県のほぼ中央に位置しています。
当時の大名が京都を模した街づくりを行ったことから、「西の京」と呼ばれているんですって。
市域は南北に長く南端は瀬戸内海(山口湾)に面し、北端は島根県と接しています。
道路網が整備されており、県内のほぼ全域から1時間30分以内で到達することが出来るそうですよ。
この点に関しては羨ましい限りです。。。
なぜなら私の県は端から端までの移動に高速道路を使っても5時間近くかかりますからね(´;ω;`)
山口盆地の中央を南北に椹野川が貫き、その両岸に市街地が形成されています。
森林セラピー基地に認定されていて、まさに自然あふれる緑が豊かな地域だそうです。
水辺があって緑がある。。。
なんだか古き良き時代の日本の風景って感じじゃないですか!?
加えて、みんな大好き12月のビッグイベント・クリスマス。
これがなんと日本のクリスマスの発祥の地は山口なんですね~!!
なぜなら天文21年12月9日(1552年12月24日)に山口の宣教師コスメ・デ・トルレスらが、司祭館に日本人信徒を招いてクリスマスの祝を催したことに由来するそうですよ。
11月下旬くらいからクリスマスソングを聴いて気分を高めているのは私だけじゃないはず(^^;)
出身小学校
藤原奏哉選手の出身の出身小学校は山口市立平川小学校です。
5歳のころ、友達の影響でサッカーを始めた藤原少年。
地元の小学校にあがるとレノファ山口FCアカデミーの前身であるレオーネ山口U-12に入団し、本格的にサッカーに取り組むようになりました。
出身中学校
藤原奏哉選手の出身中学校は山口市立平川中学校です。
中学生になると、上のカテゴリーであるレオーネ山口U-15でさらに技術を磨いていきました。
出身高校
藤原奏哉選手の出身高校はルーテル学院高等学校です。
熊本市にある私立のキリスト教教育学校で、幼稚園から大学まで整っている一貫校です。
地元熊本では制服が可愛いと評判な学校だそうですよ!
スポーツなど体育会系はさることながら、音楽や芸能・美術など文化系の活動にも力を入れています。
特にサッカー部においては2001年創部。
つまり23年足らずでこれまでに全国出場9回、選手権、インターハイともに最高記録は8強という輝かしい成績を残しています。
まさに強豪ですね!
そして藤原奏哉選手も所属していたサッカー部のプロ輩出数は21名(内Jリーガー18名)です。
この数を見るだけでも、いかに実力者が集まっていたのかが窺えますね!
ちなみに2018年度から女子サッカー部も活動を開始したそうです。
出身大学
藤原奏哉選手の出身大学は阪南大学です。
阪南大学は関西1部リーグで何度も優勝を勝ち獲っている、全国屈指の強豪校です。
藤原奏哉選手においては高校時代の知名度は決して高くなかったため、スポーツ推薦ではなくAO入試での入学でした。
しかし持ち前の豊富な運動量を活かしてCチームから這い上がります。
2年時にはサイドバックとしてスタメン起用、3年時には本職のボランチの定位置をつかみ取りました!
4年時には関西学生サッカーリーグの対近畿大学戦で、阪南大学のベストゴールとされるスーパーミドルを決めるのでした。
やはり当時から攻撃に関しても非凡な才能があったんですね!
そして2016、2017年には関西大学選抜に選出されています。
凄いですよね!
きっと陰ながら血のにじむような努力を繰り返していたのでしょうか?
藤原奏哉の経歴・特徴
つぎに藤原奏哉選手の経歴を紹介します。
《所属クラブ》
- レオーネ山口U-12(山口市立平川小学校)
- レオーネ山口U-15(山口市立平川中学校)
- 2011年 – 2013年 ルーテル学院高等学校
- 2014年 – 2017年 阪南大学
- 2018年 – 2020年 ギラヴァンツ北九州
- 2021年 – アルビレックス新潟
《個人成績》
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2018 | 北九州 | 22 | J3 | 16 | 0 | – | 0 | 0 | 16 | 0 | |
2019 | 27 | 0 | – | 2 | 0 | 29 | 0 | ||||
2020 | J2 | 29 | 3 | – | – | 29 | 3 | ||||
2021 | 新潟 | 25 | 40 | 0 | – | 1 | 0 | 41 | 0 | ||
2022 | 41 | 4 | – | 0 | 0 | 41 | 4 | ||||
2023 | J1 | 24 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | ||
2024 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 24 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | |
日本 | J2 | 110 | 7 | – | 1 | 0 | 111 | 7 | |||
日本 | J3 | 43 | 0 | – | 2 | 0 | 45 | 0 | |||
総通算 | 177 | 7 | 3 | 0 | 4 | 0 | 184 | 7 |
- Jリーグ初出場 – 2018年5月3日 J3第9節 vs ブラウブリッツ秋田 (あきぎんスタジアム)
- 公式戦初得点 – 2018年5月13日 第22回福岡県サッカー選手権大会 兼 天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会福岡県予選 決勝 vs 福岡大学サッカー部(レベルファイブスタジアム)
- Jリーグ初得点 – 2020年11月4日 J2第31節 vs 大宮アルディージャ(ミクニワールドスタジアム北九州)
《選抜歴》
- 2016年 関西大学選抜
- 2017年 関西大学選抜
《タイトル》
- 2019年 J3リーグ優勝
- 2022年 J2リーグ優勝
上記のようにJ3、J2とダブルで優勝を果たしている選手は少ないのではないでしょうか。
こうなると次はもちろんJ1リーグを制覇して優勝トロフィーを掲げてもらいたいですね!!
プレーの特徴
以上のことを踏まえて、次のように特徴を考察しました。
【藤原奏哉選手のプレーの特徴】
- 危機察知能力
- 豊富な運動量
- いくつものポジションをこなせるユーティリティー性
- 相手との間合いの取り方・距離の詰め方
- 粘り強い守備
- ボール奪取能力
- 高精度のクロス
- カットインからの攻撃力
- 自身のプレーを細かく分析して次に活かす
一番下の項については、ほとんどのクラブに分析班がいて、コーチやトレーナーなどと試合後のデータ分析を行っていますよね。
藤原奏哉選手にいたっては、外部の専門業者に依頼してさらに細かい分析と対策を講じているそうです。
それを個人でやっちゃう所に人並み以上のプロ意識を感じますよね\(◎o◎)/
中でも上3つの特徴に関しては、プロ1年目までにほぼ確立された能力でした。
もちろん身で身を削る激しい戦場であるプロの舞台に立ってからも、日々のトレーニングで一層の磨きをかけていることでしょう!
藤原奏哉のプロフィール
つづいて、藤原奏哉選手のプロフィールを紹介します。
名前 | 藤原奏哉 |
身長 | 170㎝ |
体重 | 70㎏ |
背番号 | 25番 |
利き足 | 右足 |
誕生日 | 1995年9月9日(28歳) |
血液型 | O型 |
出身地 | 山口県 |
足のサイズ | 26.5㎝ |
使用しているSNS | なし |
藤原奏哉選手の好物はお寿司で、特に好きなネタは南蛮エビだそうです。
新潟の海の宝石と呼ばれているアレですね!!
ホント美味しいですよね~。
クラブ公式のYouTubeで「趣味はゴルフ、特技はゲーム」と言っていました。
毎日のハードなトレーニングや試合でのストレスや疲労を少しでも早く回復・癒すことは必要不可欠ですからね。
ただ、主にプレーするゲームはサッカーゲームなんだそうです。
これはストレス発散と同時にプロサッカー選手としての仕事に通じることなので、仕事熱心ということにしておきましょう(笑)
まとめ
いかがでしたか?
今回は、藤原奏哉選手の出身や経歴と特徴、プロフィールなどを紹介しました。
アルビレックス新潟在籍4年目の今シーズンは、新婚ホヤホヤなので否が応でも爆発的なプレーでチームに貢献してくれること間違いないと確信しています!
藤原奏哉選手の一層の活躍と漫画「HUNTER×HUNTER (1999年のアニメ)」の再開に期待しましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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